Warning: Declaration of description_walker::start_el(&$output, $item, $depth, $args) should be compatible with Walker_Nav_Menu::start_el(&$output, $data_object, $depth = 0, $args = NULL, $current_object_id = 0) in /home/katsube/remi-piatek.com/public_html/wp-content/themes/dp-elplano/inc/scr/custom_menu.php on line 0
実は5代目だった!?大阪・道頓堀のグリコ看板8月17日に引退! | 芸能文春

芸能文春

Read Article

実は5代目だった!?大阪・道頓堀のグリコ看板8月17日に引退!

                   広告

大阪は道頓堀にある江崎グリコの看板、実は5代目だったなんてご存知でしたか!?

江崎グリコの5代目看板

2014-05-08_225223

確かに言われてみれば、トレードマークであるランナーの若さっぷり?が今っぽいですよね!?

江崎グリコは8日、リニューアルが決まった大阪市中央区道頓堀にある「グリコ看板」の最終点灯日が8月17日になると発表した。工事期間をへて、秋ごろに6代目が完成する予定。同看板は1935年に建造されて以来、道頓堀のシンボル的な存在として地元の市民や観光客に親しまれており、現在の看板は5代目。4月のリニューアル発表以来「今の看板を撮っておこう」と記念撮影をする人も増えており、同社ではツイッターやフェイスブックで残り日数を知らせる「さよなら5代目カウントダウン」企画を10日から実施することも発表した。地元市民や観光客に親しまれてきたグリコ看板だが、これまでどのようなデザインの看板が道頓堀を彩ってきたのか。看板の歴史を振り返るとともに、街の反応も聞いてみた。
ネオン塔だった初代から3代目

道頓堀に初めてグリコ看板が設置されたのは1935年。高さ33メートルのネオン塔で、ランナーとグリコの文字が6色に変化、毎分19回点滅させていたという。だが、戦況が厳しくなった1943年に鉄材供出のため撤去された。2代目が登場したのは1955年。これも高さ約21メートルのネオン塔だが砲弾型となり、下の部分に設けられた舞台では大きな「ワニ君人形」がピアノをひいたり、人形劇が演じられるなどした。

1963年には3代目が登場。これは高さ18メートルだったが、トレードマークの部分にある水車状のノズル(150本)から12トンの水がふき出す仕組みを形成。それを12色のランプ400個を照らし、きれいな虹模様ができていたという。水はポンプで上のタンクに戻す仕掛けにもなっていた。
躍動感つけた4代目、ネオン管4460本使った5代目

高さ17メートルの4代目は1972年に登場。陸上競技場のトラックでゴールインするランナーが駆けるという躍動感のあるものに。午後11時まで点灯し、戎橋で看板を背景に記念撮影するという人もこの代から増え始め、名物となっていったという。建設から24年後の1996年、隣接するビルの改装に伴い撤去された。

現在輝いている5代目は、1998年に登場。高さ20メートルでネオン管を4460本使用。日没30分後から午前零時まで点灯。大阪城、通天閣、海遊館、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)といった大阪を代表する建物を描き、バックの情景を表す色に変化をもたせることで、朝から夜までランナーが大阪の街を走っているという姿を表現した。2003年には大阪城や通天閣などとともに「大阪市指定景観形成物」にも選ばれた。

動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=TKMObn-DcOo
地元市民や観光客ら「あの看板が懐かしい」

4月の看板リニューアル発表以来、観光客らが看板との記念撮影を楽しみ、7日夜は外国からの観光客が集団で撮影するなど周辺は多くの人らでにぎわっていた。泉佐野市から来ていた男性(29)は「自分が子どものころからこれやった。次の看板のデザインが気になる。新聞で『あべのハルカスか』って書いてたけど、どうせやったら目立つものに変わってほしい」と話す。大阪市生野区の男性(65)は「カラオケで上田正樹とかやしきたかじんの大阪の歌を入れたら、映像に必ずこれが出てくんねん。今度からはそれが懐かしくなるんやろな。あと、前に阪神が優勝した時(1985年)にカーネルおじさんが川に放り込まれて、探偵!ナイトスクープで、この看板を目印にカーネルおじさんを探してたんも懐かしいわ」などと話していた。
次はどんなデザインに?

                   広告

現在の5代目は、約16年にわたり道頓堀を彩り、街の様々な移り変わりを見つめてきたが8月17日に役目を終える。同社の広報担当者は「次のデザインは」との問いに「まだ決まっていません」と話している。6代目の登場は秋ごろの予定だが、次はどのようなデザインに生まれ変わるのだろうかが注目される。

確かに、考えてみればずっと同じかんばんなわけがない、江崎グリコの長い歴史があるわけです!
では早速いってみましょう、江崎グリコの看板の歴史です!!

1代目

2014-05-08_222928

1935年(昭和10年)戎橋のそばに初めてグリコのネオン塔が立ちました。

トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、同時に毎分19回点滅する花模様で彩ったものでした。

高さは何と33メートルを誇ったそうです!

一躍大阪ミナミの名物となッ田このネオンは、当時としては型破りだったとか!

すごいですね!?

 

2代目

2014-05-08_223642

おっとおお!?

何気に1番下のワニ君とピアノが気になりますね!?

1代目は1943年に、戦況が厳しくなり鉄材供出のため撤去されてしまいましたが、戦後の1955年に再建された2代目がコチラ!
砲弾型の下部に特設ステージを持つユニークなネオン塔で、そこでは大きな人形のワニ君がピアノをひいたり、人形劇を演じたり、ロカビリー大会を催したりしましたそうです!

生で見たかったですね!

3代目

2014-05-08_224347

 

1963年に誕生したこちらのネオンは噴水付きでした!
1トレードマークの中心部にある150本の水車状のノズル(高さ18m、横8m)から何と12トンの水が噴き出し、400個もある12色のランプがそれを照らして、それはきれいな虹の模様を描き出したんだとか!

いや~見てみたかったですねこちらも!

ちなみに落下した水は、ポンプで上のタンクに戻すというエコな仕組みになていたというのです!

まさに、最先端のネオン看板だったんですね!

4代目

さてさて、今の看板の1つ前の代はどんな看板だったかというと、こちらです!

2014-05-08_232206

だいぶ今の5代目に雰囲気が近づいてきましたね!

1996年1月21日(日)の午後23時30分を最後に消灯され、2月5日には撤去工事が完了したこちら4代目は、1972年に建設されました。
バックになっている陸上競技場のトラック部分を点滅させ、トレードマークのランナーに躍動感を持たせたネオンだったとか。
このネオン塔は、日没から午後11時までネオンが点灯し、競技場の中央コースからゴールインするランナー姿が川面に映えていたそうです。

このころから看板を背景に記念撮影する人たちが増えて、名物化してきたんですね。

 

こんなに歴史がある江崎グリコの看板の期待の新作6代目は、この秋登場予定だそうです!

楽しみですね!

                   広告

シェアして教える

 

このことについてはあなたはどう思う??

*

Facebookでコメント

Return Top