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はいだしょうこ、当時の苦節あってこその今!第19代目歌のお姉さんは宝塚出身 | 芸能文春

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はいだしょうこ、当時の苦節あってこその今!第19代目歌のお姉さんは宝塚出身

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歌のお姉さんとは、声楽をやっている人ならだれでも憧れる職業だと思います。
実は筆者も昔歌のお姉さんになりたいと思ってちょっと考えていた時期がありました。
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はいだしょうこがバラエティ番組に出演して宝塚時代の過酷な試練や、NHKの未就園児向け番組『おかあさんといっしょ』でうたのおねえさんとして活躍した頃の仰天体験を明かした。どちらも独特な空気を感じる世界だが、その裏側は想像を超えるものだった。

はいだしょうこといえば、NHK『おかあさんといっしょ』の第19代目うたのおねえさんとして活躍したことで知られる。彼女は9月2日、『はいだしょうこオフィシャルブログ「しょうこのメーメーblog」』にて、8月31日に広島で行われたファミリーコンサートで“たいそうのおにいさん”佐藤弘道と共演したことを伝えている。彼女が『Let It Go~ありのままで~』を歌えば会場のお客さんと大合唱になったという。うたのおねえさんは卒業したものの今でもファンは多い。

その彼女が9月7日放送のFBS福岡放送『ナイトシャッフル』に出演して福岡の街をグルメロケしながら、宝塚歌劇団や『おかあさんといっしょ』でのエピソードを明かした。

音楽一家に育ったはいだしょうこは、子どもの頃から歌が好きで小学生の時に『全国童謡コンクール』でグランプリを受賞。それがきっかけとなり童謡歌手として活動する。1996年、16歳で憧れの宝塚音楽学校に入学。1998年に卒業すると宝塚歌劇団の84期生となり、2001年には星組公演『ベルサイユのばら2001』で入団3年目にして初のエトワールを務める。2002年に宝塚歌劇団を退団すると、2003年4月より『おかあさんといっしょ』の第19代目うたのおねえさんとなり、2008年3月28日まで活躍する。

彼女が『おかあさんといっしょ』のオーディションを受けた時、ある出来事があった。最終まで残った6名が同じ控え室にいた時だ。次に歌う楽曲の楽譜をもらったが、1人の女性が分からないからと周囲のメンバーに声をかけた。しかし、みんな自分のことに集中して請け合わない。そんな中ではいだしょうこは、楽譜を見ながら彼女にアドバイスしたという。実は、その控え室にオーディションの審査員が居合わせており、はいだしょうこの言動を他の審査員にも伝えたことから彼女が選ばれる大きな要因となったことを後に知ったそうだ。

そうやって子ども時代からテレビで見ていた“うたのおねえさん”になることができたはいだしょうこ。その時、24歳だった。

『おかあさんといっしょ』はNHKならではの収録方法をとっており、全て台本どおりに進行された。子どもたちが飽きないように、30分間カットなしで撮影する。そのため、生放送と同じようなハプニングも多かった。

ある日の収録では、“しょうこおねえさん”が歌っている時に小さな男の子が隣に座っていた。「本番中に、その男の子が私の服を一枚ずつめくってきた」と彼女は当時を振り返る。撮り直しがきかないので「されるがまま」歌い続けた。

ある時は、最後におねえさんたちが腕でトンネルを作って子どもたちがそこをくぐる場面で、「ずっと私の胸を揉んでいる子どもがいたんです」と明かす。これも、撮り直しはせずにそのままオンエアされたという。

はいだしょうこは別の番組で“うたのおねえさん時代”について「恋愛禁止」「海外旅行禁止」「車の運転禁止」そして「どんなに体調が悪くても“いつも元気”に振る舞う」という立場だったことを語っている。それでも彼女が5年間も続けられたのは宝塚時代の経験があったからだろう。

16歳で宝塚音楽学校に入学した彼女を待っていたのはこれまでの一般社会とは違う、鉄のルールがある世界だった。まず、上下関係が厳しく「1年目は笑ってはいけない」とのルールがあり、はいだしょうこは「“顔が生意気だ”とよく怒られました」という。今だからこそ、笑い話として明かしているが、その時は辛かったはずだ。

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また、毎朝、1時間半は校内の掃除をしなければならず、床に髪の毛一本落ちていてはいけないのでガムテープを使って掃除した。窓の桟(さん)も綿棒を使って念入りにしなければならず、彼女は「朝、5時頃には寮を出ていた」と語っている。

さらには、全て成績順で判断され、各科目の総合成績によって下駄箱の位置から座る順番までが決められた。初舞台に立つ時にもプログラムに載る写真の順番は成績順なので、そういった事情に詳しいファンはそれを見て誰の成績がどの辺りか分かるというわけだ。

宝塚歌劇団でも初舞台から5年目までは毎年、試験があり“研1”、“研3”などと呼ばれて最後の試験“研5”(研究科5年)の結果がすべてに影響するので「“研5”試験は墓場まで」という言葉もあるそうだ。ただ、はいだしょうこは“研4”の時点で退団しており「墓場の試験は受けていない」とのこと。

そんな宝塚での日々を振り返って、彼女は「私の基礎を作ってくれた場所」だと目を潤ませながら語った。現在、はいだしょうこは35歳となる。“うたのおねえさん”時代を過ごして、今でも歌手やタレントとして活躍できるのも宝塚時代に培ったものがあればこそだろう。

ええええ!?
一時目指していたとはいえ、「海外旅行禁止」「恋愛禁止」は私には無理だったなあ~!

「車の運転禁止」は免許持ってないからいいですけれどね!

 

ネットユーザーの声

「体育会系のイジメ何なんだろうな。上下関係で片付けるのは簡単だけどもっと突っ込んでいかなきゃダメな所じゃね?しかもイビるのは大抵下っ端の上級生で補欠みたいな奴が腹いせにイビってるイメージ強いわ」

「娘が赤ちゃんから幼児になる頃 お世話になりました。親は「あ しょうこお姉さんだ�ɤ����ϡ���」とか言ってるのに 娘 「え?誰?」悲しい(ノ_・。)」

「…絵が怖いお姉さんだ♪ヽ(゜▽、゜)ノ(爆)」

「全然関係ない話だけど、これだからどんなに小さくても女湯に男の子が入ってくるのが嫌なんだよね。男は小さくても男だから」

「歌や演劇の世界は生半可な覚悟でできるところではないのだよ。 だから軽々しく批判をしてはいけないのさ」

「誰に胸をもまれたんだーと思ってよく読んだら子供だった^^; 何があってもオンエアだからあの絵が生まれたのか。あのときちょうど生で見てた(笑)」

「はいだ画伯の描くドラえもんはホラーだwでも歴代の歌のお姉さんの中では一番好きかもw」

「つらい経験してたんだネ(;_;)」

「子どもに取り憑いたスプーの仕業。間違いない(・w・)」

「体操のおにいさんも、服を脱がされたり、体を揉まれたりしてるのかな。子供は何をするか分からないからね」

 

宝塚の規則

予科性の規則

①通学時は必ず電車の最後尾に乗る。
宝塚音楽学校のある場所は阪急グループの電車が通っている沿線なのと、ゆくゆくは阪急グループの一員になる立場として、未来の先輩達の前には乗らなィ、という意味だそうです。
駅員さんや車掌さんには必ず一礼し、普通の中高生のように話したりは厳禁。

無言で立って乗る。

・寮からの通学者は2列に整列して全員一緒に通学せねばならず、もちろん私語厳禁である。

・赤い小物を所持してはならない。。

例えばヘアゴムなどは白・黒・紺・茶に限る。

・廊下を最短距離で歩いてはいけないし、角は直角に曲がらないといけない。

・絶対に笑ってはいけない、または喋ってはいけないという時間が存在し、その間指でさしたり身振り手振りで意思疎通する。

・電子ピアノの上に楽譜が置いてある場合、本科生がピアノを使うという印なので担当の予科性は本科生がピアノを使えるように延長コードを持ちに講堂へ行かなければならない。

・寮で毎晩「反省会」がを行う。

ひえ~なんて大変なんでしょう!?

でもこういう時期を過ぎてこそ、きっと素晴らしい人間になっていくんでしょうね!

同じ芸術家として尊敬いたします!

私もシャキッと頑張らないと!

 

筆者:AI HONDA EKLUND

スウェーデン・ダーラナ地方在住のマルチオペラシンガー。

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