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ゴルフの松山英樹、米ツアー念願の初優勝! | 芸能文春

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ゴルフの松山英樹、米ツアー念願の初優勝!

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ゴルフの松山英樹がアメリカツアーで初優勝を決めました。

米ツアー優勝

<米男子ゴルフ:メモリアル・トーナメント>◇最終日◇1日◇オハイオ州ダブリン、ミュアフィールドビレッジGC(パー72)

最終ラウンドが行われ、3位で出た松山英樹は通算13アンダーの275で並んだケビン・ナ(米国)とのプレーオフを制して米ツアー初優勝を飾った。

松山はこの日、8バーディー、3ボギー、1ダブルボギーの69で回った。

日本選手による制覇は08年5月の今田竜二以来4人目。22歳での優勝は最年少となった。優勝賞金111万6000ドル(約1億1380万円)を獲得した。

松山は「優勝できてうれしいですね。ショットが良くない中でもアイアンショットでバーディーチャンスにつけられた。パットが足を引っ張ったけれど、最後の18番でそのパットでカバーできて良かった」と笑顔を見せた。

松山は15番でバーディーを奪い、15アンダーで単独首位に立った。

しかし続く16番のティーショットを池に入れてしまった。ドロップエリアから第3打を打ち、このホールはダブルボギーとし、13アンダーでケビン・ナと並び首位タイとなった。

17番はラフからのパットがショート。ボギーとなり、トップタイから落ちた。

18番はティーショットでクラブが折れるハプニング。それでもラフに落ちたボールが転がってフェアウエーに戻ってきた。第2打はピンに1メートル半につけるナイスショット。バーディーパットを決めて13アンダーでプレーオフに持ち込んだ。

プレーオフに向かう前の軽い練習では「(クラブが)折れちゃいました」とリラックスした様子だった。

プレーオフは18番から始まった。松山は3番ウッドでティーショットを打ったが、右のバンカーに入れてしまった。ケビン・ナも左のクリークに入れてしまう展開。ケビン・ナはクリーク横から第3打を打ち直して右サイドのラフに。松山は第2打、5番アイアンでバンカーから打ち、グリーンを越えたがギャラリーに当たって戻ってきた。ケビン・ナの第4打はカップを大きくオーバー。松山の第3打はグリーンに止めた。松山は先にパーパットを決め、初優勝を飾った。

これについてネットでは、

★すげ〜っ 石川遼くんの影がどんどん薄くなるw

★、米ツアー初優勝♪ 凄いです☆☆☆ 松山君がプレーオフを制し、PGAアメリカツアーで優勝しました。 優勝が決まったパットを動画でみたら、鳥肌が立ちました。

★いいニュース♪

★松山選手は米ツアー参戦しても大崩れする印象なかったからそのうち…と期待してたけど、まさかこんなに早く!? すげえスな!!

★石川遼選手と差が出てきたやんか

★松山スゴイ。次は石川^_^ /

のような意見があるようです。

松山英樹がアメリカツアー初優勝

 

日本人でアメリカツアーを主戦場ゆおくのは松山英樹と石川遼の二人。石川選手の方が早く活躍し、アメリカツアーにも早々と渡り、そのルックスからゴルフ界を盛り上げて来ましたが、最近は調子を崩したせいかあまり勝てていません。

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そんな中、松山選手がプロデビューを果たしデビュー以来強さを見せつけています。みっちりと身体を作ってきたせいか、局面での強さが光り、今では石川選手に大きく水を開けています。

日本では期待されながらもアメリカツアーでは未だ優勝はしていませんでした。しかし今回、アメリカのメモリアル・トーナメントで松山選手が初優勝を飾りました。本人はショットが良くなかったと言いますが、それでも最後は優勝するのは流石です。

これから日本のゴルフ界を背負って立つ二人。良いライバル関係を保ち、切磋琢磨し欲しいものです。

松山英樹とは

松山英樹は、1992年2月25日生まれ。日本のプロゴルファー。愛媛県松山市出身。明徳義塾中学校・高等学校・東北福祉大学卒業。レクサス(トヨタ自動車)所属。当時19歳で日本人最年少マスターズ予選通過者。これは日本のアマチュアゴルファーとして初めてマスターズの出場権を獲得したことになります。

プロ転向後、日本ツアーで史上初ルーキーイヤー賞金王。年間4勝はルーキー最多タイ。16試合という史上最速での年間獲得賞金2億円突破しました。

4歳のとき、父親の影響でゴルフを始め、中学2年生で「ゴルフをやる環境を整える」目的に、ゴルフ部のある明徳義塾に転校しました。

2008年に頭角を現し、全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝。日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選ばれます。

2010年に東北福祉大学へ進学し、アジアアマチュアゴルフ選手権で日本人初の優勝し、翌年のマスターズ出場権を獲得。予選を見事通過し、ローアマチュアも獲得しました。翌週の日本オープンでも3位に入る活躍を見せ、そこでもローアマチュアを獲得しました。
松山英樹

石川遼とは

石川 遼は、1991年9月17日生まれ。埼玉県北葛飾郡松伏町出身。日本のプロゴルファー。カシオ計算機所属。ニックネームは「ハニカミ王子」。素直な性格だがゴルフに関しては頑固者、どこまでも攻めの姿勢にこだわるのが特徴です。日本での最年少賞金王記録保持者及びツアー世界最年少優勝。

6歳の頃、父に連れられてゴルフ練習場に行ったのをきっかけに、ゴルフを始めます。当時から千葉県野田市にあるゴルフ練習場に車で30分ほどかけて通って練習をしていていました。

2004年に、全国規模の大会で常に上位を争うレベルにあるなど活躍を見せ始めます。

2007年に高校生になり、アマチュア枠でマンシングウェアオープン KSBカップにツアー初出場。この大会で、日本のプロゴルフ大会史上最年少優勝を達成。高校生ながら、36ホールを回っての逆転優勝でした。この優勝は、ギネス・ワールド・レコーズに世界最年少優勝記録(15歳245日)として、認定されました。

2009年、賞金王となり、1999年に尾崎将司がつくった26歳の最年少賞金王記録を36年ぶりに更新しました。世界の中でも目覚ましい活躍です。
石川遼

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