W☆ING、リングス、DDTなどで活躍し、ヒクソン・グレイシーと対戦した数少ない日本人格闘家としても知られる木村浩一郎(44)さんが、28日未明に肺炎のために亡くなったそうです。
【以下引用】
W☆INGなどで活躍し、ヒクソン・グレイシーと戦った数少ない日本人格闘家としても知られる木村浩一郎さんが28日未明、肺炎のため死去した。44歳だった。
木村さんは大学在学中の1989年に「サブミッション・アーツ・レスリング」に入門。90年、FMWでの三宅綾戦でプロデビューした。その後に参加したW☆INGでは齋藤彰俊(現ノア)、徳田光輝と“格闘三兄弟”として活躍。リングスなどの格闘技大会にも参戦し、日本人総合格闘家の先駆け的存在でもあった。
97年からはDDTに所属。覆面レスラー「スーパー宇宙パワー」として活動する傍ら、若手のコーチ役も務めた。
DDTの高木三四郎社長は「昨日夕方ごろ連絡があり、一同驚いています。『お前らがなめられちゃダメなんだ』と厳しく指導していただいた。木村さんがいなかったら、DDTは存在していない」と故人をしのんだ。
齋藤も「一報を聞いた時は半信半疑でした。骨格がでかくて、丈夫そうな体をしていましたから。格闘三兄弟の中で彼は末っ子で、ヤンチャな面があった。しばらく休んでもらい、自分が向こうに行ったらまた、ワガママを聞いてあげたい」と語った。
ネットでは・・・
「ショックです、まだ若いのに・・・。ご冥福をお祈り申しあげます」
「えぇーーーーーっ! ・・・絶句だ」
「ヒクソンと戦った一戦、今でも覚えています。日本が誇る格闘家の1人」
「えーーーっ! 木村浩一郎が亡くなられたのか・・・。そっか、齋藤彰俊はW☆ING時代の仲間か・・・。俺が最後に見たの、たぶんハッスルだった。ご冥福をお祈りします」
「木村さんがいなかったら女子の総合格闘技がここまで発展しなかったとおもう。ご冥福をお祈りいたします」
・・・等々。
44歳はまだ若いですよね。
ご冥福をお祈りします。
肺炎は日本人の死因でも、ガン、心疾患に続いて第3位になっています。
カゼの症状と見分けがつきにくく、カゼやインフルエンザの後に発症する場合が多いようです。体力が落ちて免疫力の下がった高齢者などがかかりやすいようですが、最近は若い人でもかかる人が増えているそうです。
カゼだと思って病院に行かずにいると、症状が悪化して呼吸困難に陥ってしまうこともあるそうです。
また、普通の細菌感染ではなく、アレルギー反応が肺に起こって肺炎になる場合もあるそうです。
これは高い熱があるのに喉も痛くなく、鼻水もでません。ただ、ちょっと体を動かしただけで息が上がったり、寝る時に息苦しいそうです。それが数日続き、肺が機能しなくなることもあるようです。
おかしいと思ったら早めに医療機関を受診する方が良いようです。
木村浩一郎(きむら・こういちろう)
1969年11月18日生まれ。44歳。元プロレスラー、元総合格闘家。
1989年、大学在学中にサブミッション・アーツ・レスリング(SAW)に入門。
1990年、フロンティア・マーシャル・アーツ・レスリング(FMW)に参戦。また、7月にはプロレスデビュー。
その後はW☆INGに参加し、柔道の徳田光輝や空手・誠心会館の齋藤彰俊らと共に、格闘三兄弟として活躍しました。
1991年、リングスに参戦。
大学卒業後は新格闘プロレスから西日本プロレスを経て、フリーランスに。
1995年、「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」準決勝でヒクソン・グレイシーと対戦するも、一本負け。
1997年からはDDTプロレスリングに登場し、覆面レスラー「スーパー宇宙パワー」として新人レスラーのデビュー戦の相手を務めていました。
2000年からは現場監督に就任しました。
女子の総合格闘技にも積極的に関わっていて、渋谷系女子格闘技として人気の女子総合格闘技大会スマックガールではルールを作成し、レフェリーも努めていました。
2001年には、スマックガールでエースだった星野育蒔らを引き連れ、新たに女子の新イベント「AX」を立ち上げました。
しかし、2002年にAXは活動休止しています。
2004年からは、格闘技団体である修斗が開催する女子の大会「G-SHOOTO」の統括プロデューサーに就任していました。
このことについてはあなたはどう思う??