国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が、18日に三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場(愛知県豊山町)で公開されました。設計変更などにより開発遅延が3回、ようやく飛行試験用初号機が完成しました。日本で製造される旅客機はY11以来の約40年ぶりです。
【以下引用】
最終組み立て工程のある三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場(愛知県豊山町)で18日、機体が初めて公開された国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)。設計変更などによる3回の開発遅延を経て、飛行試験用初号機がようやく完成した。関係者に披露された鶴のような流線型の機体は、最新の航空力学がもたらしたという。【高橋昌紀/デジタル報道センター】
航空機をけん引するトーイングカーの先導で、式典会場の格納庫にMRJ初号機はゆっくりと入ってきた。白色の細身の機体側面には赤、黒、金色の筋。三菱重工の関係者らが「歌舞伎のくま取り」と呼び習わしているイメージカラーだ。空気抵抗を減少させる翼端の「ウイングレット」に向かい、きゅっとせり上がった主翼。「きれいだよ、絶対、きれいだよ。ノーズから、コックピットに入るラインがいい。そう思わないかい」。式典後のインタビューで、三菱重工の大宮英明会長は顔をほころばせた。「空力的な美しさが、機体の美しさにつながっている」
関係者によると、この「美しさ」は大宮会長が説明するように、機体性能を追求した結果がもたらしたという。MRJのアピールポイントは米プラット・アンド・ホイットニー(P&W)社製の最新型エンジン「PW1200G」を採用したこと。ライバル機に比べて2割低いという燃費性能をもたらしたが、従来の同じクラスのエンジンに比べ、直径が大きいという“難点”も持つ。そのまま主翼につり下げると、地面と接触しないように機体の脚を長めにしなければならない。地上高が高くなるため、整備や貨物の積み込みが難しくなってくる。
そのため、三菱重工の設計陣は主翼の先端をせり上げることで、地上高を抑制した。こうして、鶴が翼を広げたような独特の形状が生まれたという。貨物室を座席の下側ではなく、機体後部に設けたことで胴体はほっそりしたものになった。機首も空気抵抗を最小限に抑えるため、新幹線のような流線型となった。
「機体表面のアルミの滑らかさも美しさの秘密」。MRJのチーフエンジニアである岸信夫・三菱航空機技術本部長は語る。リベット(鋲=びょう)などによるでこぼこさがなく「日本の製造業の持つ、作り込みのすごさのおかげです」と解説する。
式典に出席した航空評論家の青木謙知さんは「旅客機としてはオーソドックスだが、細部に丁寧さがみられる」とコメントした。コックピットの外形、主翼の付け根などに空力上の特徴があり「ライバルのブラジル・エンブラエル社、カナダ・ボンバルディア社の機体などに比べ、10年は空力的に進歩しているのではないか」と評価する。
かつては零式艦上戦闘機などの数々の名機を生み出した三菱重工業。「美しい飛行機を作りたい」と語っていた先人の航空技術者、堀越二郎のスピリットが今に受け継がれているという。「空力性能を追求した設計の結果、この形状になりました」と岸本部長は振り返りつつ、付け加えた。「美しい飛行機は性能がいいものです」
ネットでは・・・
「じぶんで美しいってこの提灯記事め!! と思ったら、なにこれェメッチャかっこい。。。」
「ついにかー。日本人として素直に嬉しい」
「うちのじいさんがMRJのニュース見て『かっこいい』と(リアルで)つぶやいてた」
「素晴らしいの一言!」
「ほんとに綺麗だった! 零戦-新幹線-MRJ、が一連の軸にいることが良くわかるデザインだったw」
「日本の技術力を発揮できる分野。将来はエンジンも含めオール国産での超高性能の完成飛行機を目指してほしい」
「これでエンジンも日本製に出来れば・・・」
「今後、安全に運行されることを願うとともに運賃も少し安くなればと思う。過去にプロペラ機のYS-11の活躍もあったし、日本の技術が世界及び未来に貢献できる事が日本国民として頼もしく、期待膨らむ一歩と思う」
・・・等々。
ネットでも、国産の旅客機に注目が集まってます。
しかし、美しい機体ですよね。
これがあちこちで運用されて、利用できる日が来るのが待ち遠しいです。
日本独自の旅客機としては、1962年に試作1号機が製造され、その10年後に生産終了となったYS-11以来です。
また、小型ジェット旅客機としては日本初になります。
YSー11とは?
日本航空機製造が製造した、双発ターボプロップエンジン方式の旅客機です。
正式呼称は「ワイエスいちいち」ですが、一般的には「ワイエスじゅういち」「ワイエスイレブン」と呼ばれることが多いようです。
1962年7月11日に試作1号機がロールアウトしました。
同年8月30日に初飛行。
1965年に航空各社への納入が始まりました。
しかし、YSは総数182機を生産し、1973年3月に生産終了となりました。後継機種であるYS33の開発計画も進まないままに日本航空機製造は解散に。
生産終了後も機体は運用され、日本国内の民間機としては、日本エアコミューターが2006年9月30日まで運用していたようです。
日本の民間航空機としては引退しましたが、機体の頑丈さからその後も国外では運用されているようです。また、日本でも自衛隊などで、運用されているYS11が2011年の時点ではまだあったようです。
MRJ(三菱リージョナルジェット)
2002年に、経済産業省が発表した30席から50席クラスの小型ジェット機開発案「環境適応型高性能小型航空機」が発端。
2003年に、経済産業省は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)をプロジェクトの窓口として希望者を募集しましたが、計画案を提出したのは三菱のみでした。
富士重工業と日本航空機開発協会(JADC)が協力し、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と東北大学が機体開発に参画。また、「環境適応型小型航空機エンジン」はIHIが受注しています。
2005年5月、パリ国際航空ショーにて計画案と縮小モデルを「Next Generation RJ」として展示。また、規模を70~90席に拡大。
2007年2月、仮称であった「MJ(三菱ジェット)」を「MRJ(三菱リージョナルジェット)」としました。
2010年9月、設計から製造の段階に移行したことを発表。
2012年7月には、アメリカのスカイウエスト社から100機の大型発注を受注。
2013年10月、愛知県豊山町の小牧南工場で試験飛行機初号機の最終組み立てを開始。
2014年6月、試験飛行機初号機(機体記号:JA21MJ)に「PurePower PW1200G」エンジンの搭載が完了したことを発表。同年10月18日にロールアウトしました。
2015年4ー6月期に初飛行予定だそうです。
たのしみですね。
このことについてはあなたはどう思う??