「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などのドラマで知られるテレビ演出家で名プロデューサーの大山勝美氏が、5日午前0時40分、多臓器不全のため都内の病院で亡くなったそうです。82歳でした。告別式は近親者のみで済ませたそうです。喪主は妻で女優の渡辺美佐子さん。
【以下引用】
名プロデューサーとして「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などの制作に携わった元TBSの演出家で株式会社カズモ代表取締役社長の大山勝美氏が5日午前0時40分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。82歳だった。夫人は女優の渡辺美佐子さんで、既に近親者のみで執り行われた葬儀では喪主を務めた。
大山氏は早大を卒業して1957年、TBS入社。「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」の他、芸術祭大賞を受賞した「真夜中のあいさつ」や優秀賞受賞の「風にむかってマイウェイ」などの名作を生み出した。
92年に定年退職した後も、カズモ社長として「蔵」「兄弟」「天国までの百マイル」「長崎ぶらぶら節」などを演出、プロデュースした。
ネットでは・・・
「よく見てたのにな」
「あなたの作品にはとても楽しませていただきました。久世さんとテレビ談義に花咲かせて下さい。お疲れ様でした。合掌」
「 『ムー』もだったか。ドラマのTBSと言われていた時の人だもんな。いい作品が多かった」
「面白いドラマを沢山ありがとうございました」
「奥さんが渡辺美佐子だったとは知らなかった。 岸辺のアルバム、ふぞろいの林檎たちはずっと忘れない名ドラマ」
・・・等々。
後日、お別れの会をひらく予定だそうです。
今の若い人は知らないと思いますが、中井貴一主演でサザンオールスターズの「いとしのエリー」が主題歌に使われ、当時、問題となっていた学歴差別などを背景に描いた群像劇である「ふぞろいの林檎たち」は大ヒットでした。
数々の記憶に残るドラマを生み出し、TBSドラマの黄金期を支えた人でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
大山勝美(おおやま・かつみ)
1932年2月5日生まれ。享年83(満82歳)。プロデューサー、ディレクター。テレビ制作会社「カズモ」代表取締役。
本名「大山勝美(おおやま・かつよし)」。
早稲田大学法学部卒。
1957年、東京放送(TBS、当時は「ラジオ東京」)に入社。以降、ドラマの演出、制作一筋で数々の話題作や受賞作を制作しています。
1992年、制作局次長、制作局理事を経てTBSを定年退職。同時に「株式会社カズモ」を設立し、代表取締役社長に就任しました。
主な作品に、テレビドラマ「若者~努の場合」「正塚の婆さん」「真夜中のあいさつ」「岸辺のアルバム」「想い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」「風にむかってマイウェイ」「父の鎮魂歌ー海軍主計大尉小泉信吉」「命のビザー6000人のユダヤ人を救った外交官」「門ーそれから」「智恵子抄」「こころ」「藏」「春燈」「おじいさんの台所」「永遠のアトム・手塚治虫物語」「兄弟」「櫂」「天国までの百マイル」「ちいさな橋を架ける」「長崎ぶらぶら節」など。
また、芸術選奨文部大臣賞を始めとして数々の賞を受賞しています。
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