「24時間テレビ37 愛は地球を救う」(日本テレビ系)のチャリティーランナーを務めたTOKIOのリーダー・城島茂(43)が、31日午後8時48分の放送時間内に東京・日本武道館でゴールテープを切りました。完走した距離は、ジャニーズ最長となる101キロでした。真夏の過酷なマラソンにもかかわらず帽子をかぶらないで、今年6月に他界した三瓶明雄さん(享年84)のトレードマークである白いタオルをハチマキ代わりに、明雄さんと一緒にゴールを目指していました。
【以下引用】
日本テレビ系『24時間テレビ37 愛は地球を救う』のチャリティーランナーを務めたTOKIOのリーダー城島茂(43)が31日、放送時間内の午後8時48分に東京・日本武道館でゴールテープを切り、ジャニーズ最長となる101キロを完走した。真夏の過酷なマラソンにもかかわらず、帽子をかぶらずに白いタオルをハチマキ代わりにした城島は、今年6月に他界した三瓶明雄さん(享年84)と一緒にゴールを目指していた。
城島は「武道館に辿り着けたとしても、力を使い果たして感謝の言葉すら上手く伝える事が出来ないかもしれない」と前もって手紙を用意。TOKIOのメンバーやメインパーソナリティーの関ジャニ∞、番組視聴者らへの感謝の気持ちが直筆で綴られていたが、最後に『ザ!鉄腕!DASH!!』の人気コーナー「DASH村」で農作業の指導をしてもらった明雄さんに呼びかけた。「いつも僕らに“まだまだ!”と言いながら、最後まで畑で汗を流していましたね。ゴールできたら、耳を澄ましてみるから、またあの時の言葉を下さい。“リーダー、まだまだ!”と」――。
番組では、城島が体力を消耗する日射しを避けるための帽子をかぶらず、白いタオルを巻いているのは「明雄さんと“一緒に”走るため」と紹介。「タオルのハチマキをしたかった。このハチマキは明雄さんなんです」。明雄さんのトレードマークを心の支えに、両ひざの痛みと闘いながら走り続けた。
残り5キロを切って猛スパートをかけ、武道館の扉前まで伴走したTOKIOのメンバーに促されて1人でゴールした城島は「明雄さん、ありがとう!」と天を仰いで叫んだ。耳を澄まして明雄さんの声が聴こえたのか、白い歯を浮かべてにっこり。「このハチマキと一緒にゴールできました」とおでこのタオルを指さし、独りではなかったことをアピールすると「40代もまだまだ捨てたもんじゃないと、世の中のお父さん世代にわかってもらえたらうれしいですね」と清々しい笑顔を見せた。
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ネットでは・・・
「うわあああああん(;_:) 」
「リーダー素敵やったで」
「明雄さん・・・」
「成し遂げたのか さすがボケも肉体労働もいけるリーダーや」
「うっ(´;ω;`)こういうのに弱い」
「さすがリーダーだなあ。尊敬できる 」
「リーダーも明雄さんも男の中の素晴らしい男だ!! お疲れ様!!」
・・・等々。
ネットでも感動の声多数。
40代で番組時間内での101キロ完走。すばらしいですね。
テレビの瞬間視聴率も、城島ゴール直後の時点で41.9%だったそうです。
しかし、ゴールまで後260メートルを切ったところでTOKIOのメンバー4人がサプライズで合流して来たのですが、この感動の場面で城島本人は「輩(やから)が4人ぶわーっときた、やめてよ~」と、一般人が乱入して来たのだと勘違いしたのだそうです。
放送終了後に出演した「行列のできる法律相談所」でそれが判明。
なんとも、城島らしいというかなんというか・・・。
そして、道路交通情報センターが「上下線とも城島茂を先頭に約5キロメートルの渋滞」と報じるほどの渋滞が起こっていたそうです。
城島見たさの渋滞だったのでしょうか。
この渋滞については、テレビ局が何か対策を考えていなかったのでしょうかね。
城島茂(じょうしま・しげる)
1970年11月17日生まれ。43歳。歌手、アイドル、タレント。「TOKIO」の最年長メンバー。
1986年、ジャニーズ事務所に入所。
1988年、「あぶない少年Ⅲ」(テレビ東京系)にてドラマデビューしました。
1989年、「アイドル共和国」(テレビ朝日系)内で「城島茂バンド(通称:ジョーバンド)」を山口達也らと結成。その後、バンド名は「TOKIO BAND」とジャニー喜多川から命名されました。「光GENJI」「SMAP」のバックを担当していました。
1990年、国分太一、松岡昌宏とTOKIO結成。1994年に長瀬智也が加入したことで現在のTOKIOのメンバーに。
「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。
2002年、ドラマ「演技者。黒いハンカチーフ」(フジテレビ系)で初主演を務めました。
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