「ワジー」の愛称でタレント活動をしていた元横綱の輪島大士(66)ですが、このところ名前を聞かなくなったと思っていたら、どうやら下咽頭がんで手術を受けていたようです。手術は成功しましたが、あの独特の声は失ってしまったようです。奥さん(43)が16日、フジテレビ「ノンストップ!」の取材に応じて明らかになりました。
【以下引用】
元横綱の輪島大士さん(66)が昨年12月に咽頭がんの切除手術を受け、声を失っていた。夫人(43)が16日、フジテレビ系「ノンストップ!」の取材に応えて明らかにした。
がんが見つかったのは昨年秋、下咽頭がんだった。「手術を受けなければダメでした」と夫人。12月に切除手術を受け、成功したものの、あの独特の声は失った。
4カ月に及ぶ入院生活のあと退院し、今は自宅療養を続けているが、経過は順調だという。
「食事も普通。食欲がないということもありません。20年は大丈夫だと医者も言ってます」と手術は大成功だったが、声のない生活は…。
「家族の間では口の動きで察しています」と、コミュニケーションは家族愛に支えられているようだ。
本人も活動的で、友人とはメールでやり取りし、約束して食事に出掛けることも。ほぼ毎日、ウオーキングし、買い物に行くこともあるという。
ネットでは・・・
「えー!!もうデーモン閣下との解説聞かれへんとか残念すぎるわ」
「輪島さんは相撲は見てませんが馬場さんの全日本プロレスに入団からシン・天龍さんらとの戦いはガッツリ見てたし、とんねるずの生ダラでの活躍は鮮明なんでショックですね・・・」
「残念」
・・・等々。
最近、同じような病気のタレントさんなどが多いように思うのですが、気のせいでしょうか。たぶん、聞き慣れない病名だから、印象に残るのでしょうね。
手術後の経過は順調ということで、声は聞けなくなってしまいましたが一安心ですね。メールなどで遠方の人とコミュニケーションをとったり、紙に書くなり携帯電話などで文字を打つなりして意思を伝えることもできますから。
輪島大士の塩ちゃんこ鍋セットがお歳暮やお中元などの贈り物に人気?
「輪島 大士の塩ちゃんこ」が贈答品としてひそかな人気になっているようで、特に相撲ファンからは喜ばれているんだとか。
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内容は、ずわいがに(カット)(ロシア産) 約250g×1、真鱈切身(国産)約40g×3切、鶏肉(北陸産) 150g×1、鶏肉つみれ(北陸産)200g、調理すり身(石川県産)120g、焼ちくわ 2本、あぶら揚げ1枚、冷凍うどん180g×2、ちゃんこ鍋つゆ 150g×1。
消費期限は冷凍で30日間となっている。
輪島大士(わじま・ひろし)
1948年1月11日生まれ。66歳。本名は輪島博(わじま・ひろし)。花籠部屋所属の元大相撲力士で第54代横綱でした。また、全日本プロレス所属の元プロレスラーでもありました。元タレント。
日本大学卒業。
高校・大学と相撲部で、大学時代には2年連続で学生横綱になるほどの実力を持っていました。
1970年、花籠部屋に入門し、1月場所にて幕下付出(まくしたつけだし)で初土俵を踏みました。
その後、快調に勝ち進め、初土俵からわずか3年半で横綱まで上り詰めました。学士・本名横綱は史上初でした。
「蔵前の星」「黄金の左」などと言われていました。
1981年3月場所中に引退。定年間際の師匠から花籠部屋を受け継ぎました。しかし、引退相撲の直前に師匠は亡くなってしまい、断髪式は兄弟子にあたる二所ノ関一門の総帥格であった二子山が止め鋏を入れました。
1982年、奥さんが自殺未遂を起こしてしまい、その後に離婚。また、1985年には妹の経営する料亭の借金の担保に、年寄名跡である「花籠」を入れていたことが明るみに出、物議を醸しました。そして平年寄への2段階降格処分と無期限謹慎処分という重い処分を下されました。これが原因となり、「花籠部屋」は部屋の継承者を決めることができずにそのまま消滅、1986年5月23日には先代師匠の奥さんである中島トミさんが首つり自殺をするという不幸がありました。
1986年、大相撲を離れた輪島大士は全日本プロレスに入門しました。オリジナル必殺技「ゴールデン・アームボンバー」は、後に「喉輪落とし」として多くのレスラーに使われています。
1988年12月にプロレスを引退。以降は大相撲解説やタレントとして活躍しました。
日本テレビ「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では、天然ボケタレントとして出演していました。また、この番組の企画でお見合いをし、現在の奥さんと再婚しています。
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私の知り合いも、今は、喉頭癌で声を失いました。その方は
まだ20代です。まだ入院中ですが、頑張って病気と向き合いっています。