歌手の一青窈(38)が、音楽プロデューサーの小林武史(55)と破局したようです。28日発売の「FLASH」が報じています。不倫略奪愛から7年、2010年には同棲していると報道されましたが、現在は一青窈は都内に一軒家を建てて暮らしているそうです。
【以下引用】
歌手の一青窈(38)が音楽プロデューサーの小林武史氏(55)と破局したと、28日発売の「FLASH」が報じている。
2人は2007年に不倫交際、10年には同棲(せい)していると報じられた。同誌によると、既に一青は都内に一軒家を建てて暮らしており、所属事務所が破局を認めているという。この日、同事務所は「担当者が出張しており分かりません」と回答した。小林は08年に「My Little Lover」のakko(41)と離婚している。
ネットでは・・・
「一青窈破局って・・・。まだ付き合ってたんかい!」
「小林武史って毎度だな。懲りないっていうか」
「なんだ別れたのか。壊しておいて、自分たちも壊れたとはなー。どっちにしても、この人の歌にはもう心を動かすものなんかないです」
「一青窈って38だったのか、そっちに驚きだよ」
「一青窈ってまだ付き合ってたの? 松下由樹まで遡るとわかりやすい人だねあの方」
「不倫したけど破局かぁ・・・」
・・・等々。
小林武史ですが、この人は昔、女優の松下由樹(46)と8年間付き合っていましたね。結婚間近と言われていましたが1995年に破局。翌年、自身がプロデュースしメンバーでもあった「My Little Lover」のakko(41)と結婚したんですよね。
2人の子供をもうけたのですが、2006年にグループを脱退し、2008年にakkoとは離婚しました。
2007年から一青窈と不倫関係にあり、2010年に2人は同棲していると報道されていました。
この略奪愛の報道で、一青窈にがっかりした人も多いのではないでしょうか。
しかし、結婚したい一青窈に対して、小林武史はのらりくらりとかわしていたようですね。
一時は破局の報道もされましたが、再び同棲していたようです。
結局は、結婚しないまま破局してしまったようですね。
ちなみに、小林武史の前妻であるakkoは今年、一般男性と再婚しています。
一青窈は結婚願望が強いようですから、次に付き合う人ができた時にはすぐにでも結婚してしまうかもしれませんね。
小林武史(こばやし・たけし)
1959年6月7日生まれ。55歳。音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、ミュージシャン。
5歳の頃からピアノを始め、ずっと音楽をやってきたようです。
バンドを組んで自作曲などを演奏し、20歳の頃にはスタジオミュージシャンとして活動を始めました。
25歳の頃には数々のアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加。また、松本隆作詞・筒見京平作曲の楽曲を編曲を手がけたりもするようになりました。
1987年、桑田佳祐のファーストソロシングル「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」やセカンドシングルのアレンジに参加。その後、サザンオールスターズが活動再開すると、シングル「みんなのうた」やアルバムなどの編曲も手がけるように。
また、大貫妙子や渡辺美里、小泉今日子などのプロデュースも手がけていました。
1988年、1989年には自身のソロアルバムをリリース。
1992年からは、「Mr.Children」のプロデュースを手がけています。
1995年には、akkoとギタリストである藤井謙二と共に「My Little Lover」としてデビュー。
1996年、akkoと結婚。
2008年1月に離婚したことを発表しました。
一青窈(ひとと・よう)
1976年9月20日生まれ。38歳。歌手。
父親が台湾人、母親が日本人のハーフ。「一青」は母親の姓。
小学生の時に父親を、高校生の時に母親をガンで亡くしているようです。
慶應義塾大学環境情報学部卒。
小学生高学年の時に宮沢賢治の詩に触発され、自分でも詩を書くようになったそうです。
大学在学中にはジャズ研究会やK.O.E.(アカペラサークル)に所属し、ストリートライブを行ったりもしていたようです。
小学生の頃から書きためていた詩がレコード会社の目にとまり、2002年に「もらい泣き」でデビューしました。
2003年、紅白歌合戦に初出場。
2004年には、映画「珈琲時光」の主演・井上陽子役で女優デビューもしました。
「ハナミズキ」「指切り」「さよならありがと」「つないで手」「うんと幸せ」「冬めく」「泣きべそ」など他、数々の楽曲があります。また、CMやテレビ番組、映画などとのタイアップも多数。
レコード大賞最優秀新人賞を始め、数々の賞を受賞しています。
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