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絶好調の田原俊彦 バラエティー番組出演で高視聴率を稼ぐほどに! | 芸能文春

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絶好調の田原俊彦 バラエティー番組出演で高視聴率を稼ぐほどに!

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一時期テレビで見かけなくなっていたトシちゃんこと田原俊彦(53)ですが、最近は良く見かけるようになりましたよね。新曲も発売され、テレビ番組のゲスト出演も目立ってきました。

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【以下引用】

  デビュー35周年を迎えた田原俊彦。新曲『LOVE&DREAM feat.SKY-HI/Bonita』を発売したことで、テレビ番組へのゲスト出演も目立っている。6月8日、15日は2週連続で『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)に登場。8日は8.3%、15日は9.7%の視聴率を記録した。テレビ局関係者はこう話す。

「23時台ですし、最近の『ガキの使い』にしては、9.7%は高い数字。もちろん同時間帯1位でした。ちなみに、田原が出演する前の2週は5月25日6.9%、6月1日6.8%でした。今回は完全に田原メインの番組作りでしたから、田原自身が数字を稼いだといえる。スペシャルMCを務める『爆報!THEフライデー』(TBS系)も、毎回12%前後を取っているし、冗談抜きで“数字を持っているタレント”のひとりになりました。

高視聴率獲得の要因は、田原が今のテレビに最も欠けている『タブーを気にしない』という要素を持っているからではないでしょうか。いまやお笑い界で大御所となったダウンタウンに、突っ込める人はほとんどいない。そのなかで、田原は松本の股間をタッチしたり、浜田に抱きついたりするなど自由に動き回った。普段、絶対に見られないダウンタウンのリアクションを引き出していたのです。

また、15日の番組終わりには、『ごっつええ感じ』と番組名を間違えた。『ごっつ』といえば、1997年、放送予定の日にヤクルトの優勝決定試合に急遽差し替えられたことで、ダウンタウンが激怒して、突如打ち切りになったといわれており、松本と浜田にとってはタブーとも言える単語です。田原は意識せずに普通に間違えただけでしょうけど、それが許されるのも、トシちゃんだからこそ。

最近は予定調和の番組が多いなかで、“なにが起こるかわからない”というハラハラドキドキ感があった。これこそ、視聴率を取る番組の基本であり、田原はそれを実践しているのです」

番組中に、ダウンタウンが大晦日の恒例となっている『笑ってはいけない』の出演オファーをする場面もあり、松本は「トシちゃんが出てくるだけで笑ってしまう」と話した。

「出演の可能性は十分あるでしょうね。今回の視聴率が高かったことから、スタッフ側もオファーするでしょう。あとは田原次第。彼はギャラや仕事の大小かかわらず、気持ちで動くタイプ。今回の絡みで、ダウンタウンとかなり打ち解けましたし、今年も放送することになれば、大晦日に登場するのでは」(同前)

数年前までテレビでほとんど見かけなかった田原が、いまや“視聴率を持っている男”としてカムバックした。

 

ネットでは・・・

「田原おもろいわーwマジで♪ 」

「て言うか、この人、干される前も視聴率持ってたし。 コアなファンもいるしね。 干されてる間もディナーショーとかでは人気だし。 そこらの芸人より数字持ってて当たり前なんじゃね? 」

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「マンネリ気味の番組に急に出てくると面白いけど、同じ番組で何回も見たいかっていうとそうでもない感じv」

「トシちゃん(笑) 大晦日出るだろこれ」

「志村けんと絡んでた頃が好きだったなぁ 」

「ガキの使いは全然見なくなったけど、田原俊彦カルタ争奪戦は秀逸」

「相変わらずフリーダム過ぎてヒヤヒヤしながら見てたw  ベテランだけど生涯アイドルを貫いてんのはさすがだな 」

「子供のときはマッチ派だったけどw トシちゃん良い奴w」

・・・などなど。

 

田原俊彦(たはら・としひこ)

1961年2月28日生まれ。53歳。歌手、俳優、タレント。

1980年6月、「哀愁デイト」で歌手デビュー。「哀愁デイト」はレイフ・ギャレットの「ニューヨークシティナイト」カバー曲でした。

ドラマ「3年B組金八先生」の出演や、数々のヒット曲など、デビュー以降、80年代のトップアイドルとして一世を風靡することに。

 

1994年3月1日、ジャニーズ事務所から独立して、個人事務所「DOUBLE“T”PROJECT」を設立しました。 しかし、テレビ局からはジャニーズとの共演をNGとするなど、風当たりがきつかったようです。

 

また、1994年2月のジャニーズ事務所からの独立直前に長女が誕生したことに対するマスコミの会見で、「何事も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになってしまうとそうはいきません」などと語ったことによるいわゆる「ビッグ発言」が物議を醸しマスコミに大きく取り上げられたことにより、彼の好感度が大きく地に落ちてしまうことになりました。ジャニーズ事務所側も独立した彼に対して擁護するこは一切ありませんでした。

 

その後、テレビ出演などはなくなりましたが、ディナーショーやライブ、ファンイベントなどを確実に行い、古くからのファンに支えられて歌手活動を続けていたようです。

 

しかし、この「ビッグ発言」の会見はマスコミによって大幅に編集されたものでした。後に爆笑問題と田原俊彦MCのTBS番組「爆報!THEフライデー」の中で、この会見のノーカット版が放送されています。

そして、テレビ出演などがなかったのは、マスコミの「自主規制」もあったようです。芸能記者が言うには「ジャニーズ事務所を独立したタレントが、所属タレントと共演することはまずないことです。もちろん、同じくらい力を持つ大手事務所に移籍した場合は別ですが……」なのだそうです。

 

所属事務所は、ジャニーズ事務所 → 個人事務所「DOUBLE“T”PROJECT」 → ヒロ・パブリッシャーズ → ヒット・バイブ → JVCエンタテインメント → フォーミュラミュージックエンタテインメント、と転々としたようです。

 

ちなみに、2人の娘がいて、2人とも芸能活動をしているとか。

長女の方は「綾乃美花」の芸名でタレント活動をしていて、次女の方は田原俊彦の娘であることを隠して芸能活動をしているようです。

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