野球の西武ライオンズが、43年ぶりの8カード連続で負け越しで、20敗一番乗りと不名誉な記録を作ってしまいました。
【以下引用】
(パ・リーグ、西武5-9日本ハム、6回戦、日本ハム4勝2敗、1日、西武ドーム)西武が初回の3点リードを守れず逆転負け。西鉄時代の1971年5月11日~6月9日以来、43年ぶりの8カード連続負け越しで、12球団20敗一番乗り。今季最多の借金11となった。
西武は一回、栗山の遊ゴロの間に1点を挙げ、中村がバックスクリーンに2号2ランを放ち、3点を先制した。
ところが先発のレイノルズが四回につかまり、ミランダの右前2点適時打と市川の左前適時打で同点。小谷野の中前2点適時打。2番手の豊田が西川の右中間適時二塁打で一挙6点を奪われ、逆転された。
六回に代打・大崎の左翼線二塁打と、代打・米野の右犠飛で1点差に追い上げたが、七回に5番手の中郷が西川に4号ソロ、中田の11試合ぶりとなる6号ソロと2者連続アーチを被弾した。
九回には6番手の十亀が大谷に中前適時打を浴び9点目を失い、勝負は決まった。
日本ハム先発の吉川は、二回以降は立ち直り、5回3失点で今季初勝利を挙げた。
打線不振…早期の巻き返しを
西武は、お代わり君こと中村選手が開幕前から怪我で欠場など、クリーンナップを打つ選手がいなく、貧打にあえいでいます。今まで打ったことがない5番打者に森本稀哲選手(日本ハム、DeNAに所属)になるぐらい、打線が苦しい。
投手陣がそれなりに良いので、問題は打線だろう。西武の野球は1-0で勝つ守りが魅力だが、現在は9-10で負けてしまう野球です。いや、1-10だろうか…。これではFAで移籍した涌井投手と片岡選手がいないからだと言われても仕方なくなってしまう。
現在はリーグワーストの長打力ですが、中村投手が最近復帰し調子が上がっていているので、巻き返しを期待したいところです。
西武ライオンズとは
埼玉西武ライオンズは、日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属。埼玉県所沢市にある西武ドームを専用球場(本拠地)としています。
1950年、西鉄クリッパースとして発足し、西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ→西武ライオンズと改称、2008年から現在の名称になりました。1969年の黒い霧事件で人気低迷し、1972年に当時の親会社の西日本鉄道が球団を手放す自体になりました。その後福岡野球株式会社が親会社となり、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズと名称が変化していきました。
1978年に西武が買収し所沢に移転し、西武ライオンズとなり、2007年末に地域密着を図る目的として埼玉西武ライオンズとなりました。頭に「埼玉」とつけただけでなく、県営大宮球場での試合開催、ファンや市民が選手と一緒に参加できるイベントを開くなど、これまで以上に地域密着を図るようになりました。しかし、多くのライオンズファンを獲得できるかどうかは地域密着活性化によるこれからが勝負です。
伊原監督とは
伊原春樹監督は、1949年1月18日生まれ。広島県出身の元プロ野球選手(内野手)・監督。
選手としては西鉄・太平洋・クラウン・西武、巨人でプレー。実働は9年。
現役引退後は指導者に転身して西武コーチや監督で、西武・オリックス・阪神・巨人の各球団に所属しました。2014年シーズンより、再び埼玉西武ライオンズ監督になりました。11年ぶりの復帰です。背番号73。
西武のコーチのときは、鬼軍曹として厳しい指導を行いました。1987年の日本シリーズで「伝説の走塁」と呼ばれる走塁を指導し、これにより伊原の名前も全国区となりました。
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